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名所・旧跡


伊豆市の名所・旧跡を紹介します。

修善寺中伊豆土肥天城


修善寺


吉田絃二郎

吉田絃二郎

修善寺から大仁行きの馬車は互いに「さようなら」「御機嫌克う」と挨拶が交わされて鈴を鳴らしながら出発する・・・・・。

 吉田絃二郎の作品の中には修善寺を記したものが少なくないが「修善寺行」(小鳥の来る日)もそのひとつである。

 旅を愛し、修善寺の山や川に親しみ、大正5年頃から昭和31年に他界するまで毎年長逗留することが多く、この地をこよなく愛した作家である。

妻明枝が昭和12年42歳で早逝したとき、修善寺を一望できる塔の峯の山腹に遺骨を埋葬し、修善寺小学校に吉田文庫を寄贈した。

絃二郎も70歳でその生涯をとじ、その分骨は長葬の礼をもって鹿山の墓所に妻明枝とともに眠っている。

地域:修善寺



修禅寺物語

岡本綺堂の戯曲で、修善寺を舞台にした最大の傑作と言われている。

 明治44年1月号「文芸倶楽部」に発表、同年5月に明治座で、二世市川左団次の夜叉王を主役に初演された。

修禅寺に残る古面の興感と、金剛右京の能面にまつわる伝説に取材したといわれる新歌舞伎の代表的作品の一つである。

地域:修善寺



修禅寺物語


修善寺虹の郷内 漱石庵

修善寺虹の郷内「漱石庵」
(旧菊屋旅館別館)

明治43年8月6日、漱石は病気療養のため修善寺温泉菊屋旅館に滞在する。

修善寺への転地療養に期待したが病状は悪化の一途を辿り、8月24日危篤状態に陥る。

これが世にいう修善寺大患であるが、9月も初旬になると少しずつ快方に向い、10月には帰京できるまでに回復する。

この修善寺における大患が漱石の心に転機をもたらし、以後の作品に大きな影響を与えたといわれている。

地域:修善寺



高浜虚子句碑

高浜虚子は子規の写生説をうけ継ぎ、花鳥風月を基本とした句作を提唱し、数多くの作品を残した。

「北に冨士南に我家梅の花」の句碑が梅林内にある。

地域:修善寺



高浜虚子句碑


尾崎紅葉句碑

尾崎紅葉句碑

尾崎紅葉は「金色夜叉」等が高い評判を受けているが正岡子規と並ぶ俳人でもある。

「いかさまに霞むやと岡に渉りけり」の句碑が梅林内にある。

地域:修善寺



中村吉右衛門句碑

歌舞伎俳優であるが虚子と交遊し、「ホトトギス」同人となる。

「鶯の鳴くがままなるわらび狩」の句碑が梅林内にある。

地域:修善寺

中村吉右衛門句碑


修禅寺

修善寺温泉発祥の寺で、温泉場の中心にある。
平安初期の大同2年(807年)に弘法大師が開基したもので、当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから桂谷山寺といわれ、伊豆国禅院一千束と正史に記されたほど格式の高い寺だった。
鎌倉初期になって建長年間(1250年頃)に蘭溪道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧)が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ているところから当時は肖廬山と号した。
南北朝時代の康安元年(1361年)になって畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、応永9年(1402年)には火災を蒙り、永徳元年(1489年)に至り、韮山城主の北条早雲が外護者として再興し、叔父の隆溪繁紹(遠州石雲院)が住して曹洞宗に改宗され山号も福地山と改められ今日に至っている。

地域:修善寺



独鈷の湯

大同2年(807年)に、弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつかれた父の体を洗う少年を見つけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷たかろう」と、手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたという。
そして、大師が父子に温泉療法を教えたところ、不思議なことに、父の十数年の固疾はたちまち平癒したと伝えられ、その後この地方には温泉療法が広まったという。
いわゆる修善寺温泉発祥の温泉で、伊豆最古のものといわれている。

地域:修善寺



指月殿・源頼家の墓

指月殿境内にある。 頼家は正治元年(1199年)に、父頼朝の死により家督を継いで、鎌倉二代将軍となった。
幼少から才気活発で弓馬に長じ、建久4年(1193年)の富士野の狩場で高名を挙げたこともある。
しかし家督を継いで間もなく、北条氏など元老の干渉も多く、さらに建仁3年(1203年)に罹病した時、相続のことが議せられて、北条時政と母政子(時政の娘)が、子の一幡と弟実朝に分譲する案を出した。
これに対し、一幡の独裁を主張する一幡の母である若狭の局の父、比企能員と意見が対立し、北条氏との間が次第に険悪化していった。
また、北条氏に対抗して頼家は、源氏の実権の回復に努め、能員と組んで北条氏を討とうとしたが、かえって能員と一幡は、殺され、頼家は修禅寺に幽閉されてしまった。
そして翌年の元久元年(1204年)に時政の密計により、修禅寺門前の虎溪橋際にある箱湯で暗殺された。このとき頼家は23歳という若さであった。 現在、7月17日には地元の町内会により頼家忌が催されている(命日7月18日)。

地域:修善寺

土肥


天正金鉱

天正5年(1577年)代官彦阪小刑部元成の支配によって開発された伊豆最初の手掘の金山で、内部には空気の対流を考慮した逆さ階段や、ふいごの原理を応用した換気装置が岩に刻まれ当時の人達の知恵をする事が出来ます。
入場料:500円

地域:土肥

天正金鉱


安楽寺と夫婦神社

安楽寺と夫婦神社

安楽寺は、豆国八十八カ所巡りの八十六番礼所になっています。 境内には土肥温泉発祥の湯と言われる「まぶ湯」があります。

安楽寺と夫婦神社

構内最深部に、夫婦神社があり、子宝に恵まれる様祈願してまぶ湯に入浴すると子宝を授かると言われます。
拝観料:150円

地域:土肥



土肥金山

天正年間の発見いらい、土肥の金山は金山奉行大久保石見守長安等により幕府直轄の金鉱として慶長大判小判の地金を産出し発展したが、元禄3年以降金量の減少により衰退しましたが、神戸の実業家長谷川桂五郎により明治39年に再開発に成功し、昭和40年に閉山する迄年間金を40t、銀を40tを産出しました。
現在土肥金山は、坑道の一部を公開し観光事業を行っております。
入場料:大人840円 小人420円

地域:土肥

土肥金山


土肥城主富永氏と清雲寺

土肥城主富永氏と清雲寺

北条氏が伊豆を支配していた時代、土肥城主富永山城守はその配下の水軍精鋭部隊となり最も栄えました。
清雲寺は、富永氏の菩提寺で、日蓮上人の一代記を描いた極彩色のタタミ一畳大の版画絵が90枚ほど展示されています。
その堂宇は大工の神様と言われる酒井多次郎藤原政房の作品です。

地域:土肥




土肥神社

土肥城主富永氏によって鎌倉鶴岡八幡の分霊を勤進したものと伝えられています。
毎年10月中旬には大祭が行われ、流鏑馬に準じた神事の他、伊豆水軍出陣の太鼓が祖と言われる土肥太鼓奉納、屋台や浜降り(仮装)パレードが行われます。

地域:土肥

土肥神社


象牙美術宝庫

象牙美術宝庫

ワシントン条約後、輸入が禁止となり今後手に入らない貴重な象牙の美術工芸品の数々が展示されています。
高さ2.3メートル、長さ50メートルもある世界一の宝石屏風が凄いです。
1500余りの天然石にダイヤ・真珠の宝石をまじえて「西遊記」を表現した作品などがあります。
また、世界三大屏風の内の一つ「楊貴妃」も別館を設けて展示されています。
入場料:1000円

地域:土肥



立木釈尊像

昭和10年頃、地元旅館主が小下田富士見台の松に旅人の安全を願い、仏師に彫刻させたものです。
現在は松は枯れていますが、釈尊像は完全に修復され祀に安置されています。

地域:土肥

立木釈尊像


土肥 達磨寺

土肥 達磨寺

1.本堂に日本一大きい高さ5メートル、重さ3屯のダルマ像が安置されています。

2.毎年正月には大祭 夢がかなう願かけダルマ市を開催します。

3.座禅体験を承っています。車のお祓い、特別祈祷の受付

4.桜葉もちの販売も行っています。

営業時間:8:30−16:30 年中無休
拝観料:500円

地域:土肥



金峰山最福寺

観世音を本尊とする曹洞宗の古希。 境内には私費で建てた資料館「夢の実現堂」があり、貴重な郷土資料が陳列されています。
春には、境内のしだれ桜が大変美しいです。

地域:土肥

金峰山最福寺
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中伊豆


下白岩の有孔虫化石

下白岩の有孔虫化石

白岩の西区一帯の地層は、白い岩石で形成されていて、一部が路頭しています。「白岩」の地名はこれから起こっています。
ここは直径3〜4mmの円盤型をした、原生動物の大型有孔虫化石を産することを全国的に知られ、古くから多くの人が訪れています。
伊豆半島は昔、南方洋上に浮かぶ一火山島で地殻変動によって北上し、およそ100万年前に本州に衝突したという学説があります。日本の他の地域と伊豆半島では、この化石の年代が大きくずれているため、その説を証明するものとして、学術上貴重な資料とされています。

地域:中伊豆



上白岩遺跡

白岩遺跡は、今から約4千年前の縄文時代中期から後期にかけて営まれた遺跡です。
大見川の河岸段丘に立地しています。
昭和51年に最初の地域を発掘調査したところ、多くの土器や石器とともに、縄文時代後期を中心とする大規模な配石遺構が発見されました。
その中の環状の積石遺構は、大小数個の石で細長い石を中心に円形に配置し、これらを鎖のように連続して並べ直径約15メートルの環状にしたものです。
この遺構は全国にも非常に珍しいものです。
また、配石遺構の下部からは墓地と考えられる多くの土壙や埋甕が発見され、性格が明確でない配石遺構の一面を示す貴重な資料です。
これらの配石遺構や住居址、土壙は、さらに東側の区域にも広がっており、全体では全国でも有数の規模を持つ遺跡であると考えられています。

地域:中伊豆

上白岩遺跡


大井上康学術文献資料館

大井上康学術文献資料館

大井上康は、明治25年広島県出身です。
茨城県のブドウ園で技師として働いた後、自分の農業理論を実践するため「理農学研究所」を設立して、本格的なブドウの研究をこの地で始めました。
苦悩の研究の末、昭和19年に新品種の交配に成功し、研究所から見える富士山にちなんで、ブドウは巨峰と命名されました。
この建物は木造平屋建ての洋風建築で103.15m²。
大井上康が大正8年にブドウの研究をするために自ら設計し、東京から大工を連れてきて建築した建物です。
 現在は、さまざまな学術資料が展示・保管されています。

地域:中伊豆



實成寺祖師堂の彫刻

この祖師堂には立派な彫刻が保存されています。
作者は松崎町江奈出身で、石田富次郎という狩野派の画法を修め名人といわれた人物です。
彫刻は祖師向拝正面に鳳凰の舞う姿、左右の木鼻には獅子と象、そして内側のタバサミはボタンの咲き乱れる様子が彫られています。
堂内正面欄間一面に見事な透かし彫りがあり、松・竹・梅の林が浮き出し、その林間に神仙人と童児が楽しそうに巻物をひろげて話し合っています。
両側の欄間には、五彩の雲間に鶴の舞いあそぶ姿が彫られています。

地域:中伊豆

實成寺祖師堂の彫刻


大宮神社の社叢(しゃそう=森)

大宮神社の社叢(しゃそう=森)

大宮神社は旧下大見村社として、古くから周辺住民から崇敬されてきました。
祭神は大己貴命(おおなおちのみこと=大国主命)といわれ、棟札に弘安年間、(1278年)のものがあり、かなり古いものと思われます。
位置的に富士を見、上白岩遺跡が正面にあり、地名として元村の名があるところからも、当地方での最古の歴史をもつ神社であることが想像されます。
総面積7712.4m²の広大な敷地に松、樫、杉の老木をはじめ、数多くの樹木がうっそうと生い茂る荘厳な社叢となり、豊富な木の実を求める野鳥の楽園となっています。
昭和59年、静岡県「ふるさとの自然百選」に「お宮の森」として選定されました。

地域:中伊豆



大見小藤太成家の墓

大見小藤太成家は、この地の豪族大見氏の一族で、伊東氏の一族、工藤左衛門尉祐経の家臣でした。
そして伊東祐親と工藤祐経との所領争いのため主命に殉じた武将です。
工藤祐経は、京に出仕している間に伊東の庄を祐親に奪われてしまい、そのため所領を取返えそうと、大見小藤太と八幡三郎行氏に伊東祐親暗殺を持ちかけました。
襲撃は失敗し、その子河津三郎祐泰の命を奪ってしまった2人は、祐親の次男祐清の軍勢に討ち取られてしまいました。
この事件が発端となった、曽我兄弟の富士の仇討ちは有名です。
小藤太の邸跡は現在の実成寺で、また、山城は柳瀬の神社付近一帯で空壕や城ヶ平などの地名に昔をしのぶことができます。
墓は鎌倉時代のものですが、塔身は明和5年(1768)に再補修されました。

地域:中伊豆

大見小藤太成家の墓


万城の滝

万城の滝

地蔵堂川の上流にあるこの滝は、伊豆の天城山から湧き出た清流をあつめ、高さ20メートル、幅6メートルの瀑布となって落ちています。
以前は裏見の滝として、裏側を歩道が通っていましたが、現在は危険防止のため通行できません。
西側通路の傍らに不動明王2体が祀られていて、古くから修験者の霊場であったことがわかります。
また、周囲には珍しいシダ類や種々の寄生(やどり)木(ぎ)などもみられます。
この滝の入口に昭和54年から「萬城の滝キャンプ場」を開設しています。
シーズンにはキャンプを楽しむ人たち、涼を求める人たちで賑わっています。

地域:中伊豆



貴僧坊水神社の湧水

水神社は罔像女(みずはめの)命(みこと)を祀り、寛文13年(1673)字上耕地に創建され、明治6年にこの地に遷座しました。
本殿北側にある境内石垣の下からは、清らかな湧水が多量に出ていて、その下にはわさび田が広がります。
境内に近いわさび田は水神社の所有で、氏子が管理栽培しており宮沢と呼んでいます。

地域:中伊豆

天城


浄蓮の滝

浄蓮の滝

湯ヶ島温泉から天城峠に向かい2km、浄蓮の滝バス停から徒歩5分。
天城原生林に包まれた浄蓮の滝は、高さ25m幅7mの天城山中第一の滝です。
滝の玄武岩には、天然記念物のハイコモチシダが群生しています。
夏でも涼しい神秘的な滝の主は女郎蜘蛛だという伝説も残っています。
併設の浄蓮の滝資料館には、周辺の地質、自然、歴史と文化、特産品、伝説などが展示されています。

地域:天城



旧天城山隧道

湯ヶ島温泉から車で20分、鳥の声と本谷川のせせらぎをBGMに道の両側を天城の原生林を進むと天城山隧道です。
海抜約800m、ブナやカエデの木々が自然のまま生い茂る風情は、伊豆の踊子の世界そのものです。
国の重要文化財に指定されているほか「日本の道100選」「日本百名峠」にも選ばれています。

地域:天城

旧天城山隧道


昭和の森会館

昭和の森は、一帯に広がる1500haの自然林=天城原生林を生かしたありのままの豊かな自然を親しむ自然休養林です。
昭和の森会館は、井上靖の旧宅や、伊豆ゆかりの文学資料を集めた伊豆近代文学博物館、天城の生態系のわかる森林博物館、4月から5月頃には、500種・13000本のシャクナゲが圧倒的な迫力で咲き誇る天城グリーンガーデンが併設されています。

地域:天城

昭和の森会館


滑沢渓谷

滑沢渓谷

湯ヶ島温泉から天城峠に向かい6kmのところに滑沢渓谷があります。
滑沢渓谷入口バス停から徒歩5分、国道414号を西へ300mほど入ると滑沢渓谷です。
安山岩の間を清流が流れ、四季折々の素晴らしい風景を楽しめます。
特に紅葉のシーズンは最高です。

地域:天城



八丁池

旧天城山隧道から約6km・海抜1,170mの八丁池は「天城の瞳」とも呼ばれる天城山の火口湖です。
天城山中のハイキングコースとしても人気があります。
お天気の良い日には展望台から富士山・駿河湾・伊豆七島を一望することができます。
また、モリアオガエルの生息地としても有名で、産卵の季節になると独特の泡に包まれた卵塊を見ることができます。

地域:天城

八丁池


出会い橋・湯道

出会い橋・湯道

本谷川と猫越川の合流点にかかる男橋・女橋の2つの橋が出会い橋です。
男女が出会うと幸福になれるという伝説があります。
出会い橋周辺は、昔、里人が共同湯に通うときに使われた小径が「湯道」の名の散策路として整備されています。
2つの橋に挟まれた中洲にはちょうど真ん中で2つに結ばれるハートのモニュメントがあります。
この橋のたもとで6月に飛び交うのホタルは圧巻です。

地域:天城



世古峡

湯ヶ島温泉の南西部にある世古峡は、猫越川の渓流をはさんで旅館が点在しているところです。
岩をかみ白く泡立つ清流、その清流を被い隠すようなもみじ・杉等の古木群。世古峡は「天城山麓に逆まく瀬戸の水廉」と称えられています。

地域:天城

世古峡


行基の滝

行基の滝

吉奈温泉から徒歩30分、吉奈川に沿って上流へ約2kmほど。高さ13m幅3m。
ケヤキやモミジに包まれたこの滝は、その昔は里人に「魔の滝」と恐れられていましたが、行基上人が滝に打たれて荒行をして、滝の供養をしたことから行基の滝と呼ばれています。

地域:天城



わさび沢

冬暖かく、夏涼しい天城の清流が天城の特産品であるわさびを育てています。
その澄みきった流れ、せせらぎの音・・・天城ではこんな自然をいたるところで見つけることができます。
春、3月〜4月には可憐な白いわさびの花を咲かせます。

地域:天城

わさび沢


月ヶ瀬梅園

月ヶ瀬梅園

1969年生産梅林として開園。その広さは、東京ドームより広い6.2ヘクタールと、伊豆半島で一番を誇ります。広大な園地には、南高梅、白加賀、改良内田をはじめ10種類の品種1500本が混植されています。例年2月下旬頃に紅白の花が咲きほこり、6月上旬には梅の実狩りが楽しめます。

地域:天城



太郎杉

浄蓮の滝から南へ4kmほど、滑沢渓谷の滑沢橋近くの国有林の中に太郎杉はあります。
高さ53m。樹齢400年以上と推定されるこの杉は、天城山中最大の巨木で静岡県の天然記念物にも指定されています。

地域:天城

太郎杉


法泉寺のシダレザクラ

法泉寺のシダレザクラ

本柿木、法泉寺境内にあるシダレザクラは、高さ20m・根回り2.7mの巨木です。
四方に枝を張り、春に花が満開になる頃は圧巻です。
この桜は静岡県の天然記念物に指定されています。

地域:天城



夕鶴記念館

戯曲「夕鶴」の原作者木下順二にゆかりの深い天城の地に建てられた日本唯一の「夕鶴」の博物館。
主人公つう役の山本安英さんの衣装など貴重な展示品の数々や、舞台のハイライトシーンに会えるなど一般の方でも感動が味わえます。

地域:天城

夕鶴記念館


天城A,TOMOミューズ館

天城A,TOMOミューズ館

人形劇「プリンプリン物語」の造形作家、友永詔三氏の木造彫刻を中心に、芝居用人形、木版画などを常設展示。
浄蓮の滝から国道をはさんで向かいにある白亜の建物は、作家自身のデザインにより、独特の意匠がほどこされています。

地域:天城



天城国際常設鱒釣場

浄蓮の滝壷から下流300mは、滝を眺めながら自然の渓流で釣りを楽しむことができる常設の鱒釣り場となっています。
貸し竿、餌などはご用意しておりますので手ぶらでお出かけいただいても大丈夫。
伊豆市内の宿泊施設をご利用の方は割引料金が適用になります。

地域:天城

天城国際常設鱒釣場


子宝の寺「善名寺」

子宝の寺「善名寺」

神亀元年(724年)吉奈温泉を発見した行基の創建。江戸時代、徳川家康の側室「お万の方」が参拝し、吉奈温泉に入湯して子宝に恵まれ頼宣と頼房を授かって以来この寺も栄えました。
お万の方が再建した善名寺では、今でも子授けのご祈祷を受けに訪れる参拝者が後を絶えることがありません。

地域:天城



下の神様「明徳寺」

明徳年間に利山忠益禅師によって建立された禅宗(曹洞宗)の禅寺です。
伊豆の3大奇祭のひとつとして、東司(便所)の守護神を祭る全国でも珍しい寺で、下半身の病気に御利益があると言われます。鳥彗沙魔(うすまさ)明王の祭典「東司祭」は毎年8月29日に行われ、多くの参拝客で賑わいます。

地域:天城

下の神様「明徳寺」


天城神社

天城神社

天城神社の狛犬は二匹とも天城山の方へ首を曲げ、何かを睨んでいるようです。
この狛犬が天城山の山犬を追い払ってくれたという言い伝えも残っています。

地域:天城



狩野城址

狩野城は、伊豆一の豪族であり、後に絵画の一大流派を築いたとされる狩野氏ゆかりの山城跡。狩野氏の五代目茂光は、峻険な地形を求め、狩野川と柿木川合流点の南側の三方を山に囲まれた丘陵地に位置する柿木の地を選び城を構えました。狩野川を望む眺望のよい高台にあり、ハイキングポイントとしてもピカイチです。

地域:天城



井上 靖

井上 靖

(しろばんばの碑・猟銃の碑・詩碑・慰霊詩碑)

日本文学を代表する作家、井上靖は多感な子供時代を天城湯ヶ島ですごしました。
そのころの思い出を描いた自伝的小説が名作「しろばんば」。
しろばんばの碑には小説の冒頭部分が刻まれ旧井上邸跡地に静かに建っています。
昭和24年、毎日新聞記者時代には処女作「猟銃」を発表しました。
舞台になった滑沢渓谷には、2本のブナの巨木の間にみかげ石を配した碑に「猟銃」の冒頭部分が刻まれています。
その他、母校の湯ヶ島小学校に児童に贈った詩碑、戦没者に贈った慰霊詩碑等があります。

地域:天城



川端康成文学碑
(伊豆の踊子)

若き日のノーベル賞作家・川端康成は、天城に旅したときの体験から名作「伊豆の踊子」を著し、以降もことあるごとにこの出湯の里に長逗留し、友人作家たちとの交流を楽しみました。
この文学碑は「伊豆の踊子」の冒頭シーンとなった天城峠の登り口に建設され、自筆の碑文と川端の横顔がレリーフになっています。

地域:天城

川端康成文学碑


伊豆の踊子像

伊豆の踊子像

浄蓮の滝の落ち口、駐車場脇に学生と踊子の像が建っています。
二人並んでこれから進む天城の山々を指差しています。
伊豆の踊子の足跡をたどる踊子歩道は、この浄蓮の滝から河津七滝までの間歩程16.2kmの遊歩道として現在もハイキングなどに利用されています。

地域:天城



梶井基次郎文学碑

梶井基次郎は、学生時代に結核療養と川端康成の「伊豆の踊子」の校正を手伝いながら湯ヶ島温泉の湯川屋に滞在していました。
1年4ヶ月の療養生活中に川端康成に宛てた手紙の一文が碑に刻んであります。
また、碑の側には川端康成自筆の案内碑も建っています。

地域:天城

梶井基次郎文学碑


若山牧水の歌碑

若山牧水の歌碑

幾たびも天城の里を訪れ、多くの歌を詠んだ若山牧水は、天城の山桜の美しさに魅せられ23首もの歌を詠んでいます。
山桜23首のうち5首を刻んだ歌碑が湯ヶ島西平神社へ向かう高台に建てられています。

地域:天城



その他の文学碑・記念碑

横光利一文学碑・島崎藤村文学碑・穂積忠の歌碑・古見豆人の句碑・島木赤彦歌碑・御所平之助の句碑・足立文太郎博士の記念碑天皇行幸記念碑・浄蓮の滝懐徳碑・湯道記念碑・板垣勘四郎の碑、そして石川さゆり「天城越え」の歌碑…。天城には多くの碑が建っています。美しい自然が生み出す文学作品の数々。深い山あいで訪れる人々を静かに待っています。

地域:天城



七福神めぐり

天城地区内にある七つの曹洞宗のお寺で七福神をお祭りしてあります。
大竜寺の寿老尊・宝蔵院の毘沙門尊天・真正寺の恵比須尊・嶺松院の弁財天・明徳寺の大黒天・弘道寺の福禄寿尊・成就院の布袋尊、以上の天城の里七福神を巡ると、七難即滅・七福即生のご利益があるといわれています。

地域:天城


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